「わたしはここに居てはいけない」と思うのは何故?

こんにちは。
90日で絶望を希望に、不安を安心に変える心理相談室『しあわせ体質』のカウンセラーおおにしみちおです。

こういう相談があります。
「わたしって、いてもいなくても一緒なんじゃないかと思います。職場で仕事していても間違えてばかりで、何度言われても同じ間違いをする。若い子だったらそんなことはなくて、教えられたら覚えるのも早い。迷惑をかけているだけなんですよね。わたしでなくてもいいと思うんです」

さらにこういうふうに自分を見ておられます。
「わたしはここにいてはいけないと思うんですよね。いる資格がないと思います。もっとわたしより間違いなくできる人がいるし、仕事も早い。その方がみんな喜ぶと思います。わたしがいない方が上手くいくんです。わたしはここにいるべきじゃないんです」

自分の存在意義が感じられない無価値観

「ここに居てはいけない」と感じるひとつの感情に無価値観というものがあります。自分には価値がない。自分には人に与えるものが何もない。

わたしって、役に立っているんだろうか?という疑問が常にある。だから、自分が何かしたことに対しても、わたしでなくてもよかったんじゃないかと考えます。実際に何かをしたにもかかわらず、自分以外の人にもできることなら、わたしでなくてもいいんだ、と自分がしたことに対する価値を否定するのです。

自分の存在意義に疑問を待つと、失敗したときは、こんな失敗をするようではいる意味がないと思うし、上手くいったとしても、こんなことは誰でもできることで、別にわたしでなくてもいいんだ、と思う。

どちらにしても自分の存在を否定してしまう。自分が自分の価値を認めていないので、みんなわたしがいない方がいいと思っていると考える。それは誤解なんですが、自分ではわからない。とてもしんどい状況だと思います。

自分は毒であると思う罪悪感

「ここに居てはいけない」と感じるもうひとつの感情に罪悪感というものがあります。自分という存在は毒であるから、周囲の人に迷惑をかけてしまう。だから、ここにいるべきではないと考えるのです。

罪悪感という感情は、自分は罰せられないといけないと思う感情です。罰せられるべき自分は罰を受けないといけないと感じるのです。

だから自分に様々な苦難を与えます。どうしてそこまで苦しまないといけないのかと思います。まるで、苦しむことが使命であるかのように苦難を与えるのです。

もちろん、自分ではそういうつもりはありませんので、どうして次から次へとこんな苦難が訪れるのだろうと思いますが、それが自分の抱えている罪悪感のせいだとはわかりません。

そこには愛があることに気づく

無価値観で感じる「わたしって、役に立っているんだろうか?」という思いは、役に立つ人でありたいと思っているということ。誰かの役に立ちたい人なんです。誰かを楽にしてあげたいと思っているのです。それって、愛だと思いませんか?自分では気づいていないかもしれませんが、愛があふれていると思います。

罪悪感で感じる「わたしは毒だから、周囲の人に迷惑をかけてしまう」という思いは、迷惑をかけたくないという思いが潜んでいます。迷惑をかけたくない、という思いは、愛から出ていると思います。

無価値観にしろ、罪悪感にしろ、根底には周囲の人に対する愛がある。まずは、自分の中にある愛に気づいて欲しいと思います。周囲の人にこんなにも素晴らしい愛を向けているあなたは、それだけで価値ある人間だと思いませんか?愛されるにふさわしい人だと思います。

自分に愛を向ける

周囲の人に対する愛があった、ということを前段でお話ししましたが、では、自分自身に対して愛はあったでしょうか?

「わたしってここに居るべきじゃない」とか「わたしって毒だ」という自分に対しては否定だけが向けられている。厳しい目、冷たい目が向けられている。

自分に対しても愛ある目を向けてみませんか?というお願いをすると「そんなことできません」と断言される方がとても多い。

しかし、罪悪感を抱えて、無価値観を抱えて、とても苦しく辛い毎日を送っておられるとしたら、いまできていない「自分を愛すること」にチャレンジすることがいまのあなたの課題だと思うのです。

これは、課題です。たぶん、いままでも今回と同じような苦しみが幾度とあったことだと思います。課題というのは、それができないうちは何度となく同じことが起こる。

「自分を愛する」とは、自分の価値に気づくということ。自分の存在意義を認めるということ。誰にでもある。ない人はいないと思います。

そのための一歩は、あなたに愛を向けている人を見つけること、あなたを認めてくれている人を見つけること。いません、と言わないでください。必ず、いるのです。目を凝らし見てみましょう。

肯定されているあなた、愛されているあなたがいるということを思い知って欲しいのです。そこから目を背けないでください。

きょうも、お読みいただきありがとうございます。
みなさまのしあわせをお祈りしています。