上手くいく選択の基準とは?〜90日でしあわせ体質を手に入れる心の取扱説明書〜

こんにちは。
90日で絶望を希望に、不安を安心に変える心理相談室『しあわせ体質』のカウンセラーおおにしみちおです。

クライアントさんのお話を聞いていて、どうしたらいいのでしょう?どちらを選んだら正しいのでしょうか?とアドバイスを求められることがあります。

難しいですねえ、とわたしも困ってしまいます。クライアントさんが何日も何日も悩みに悩んだ問題だから、ご自分でも判断しかねてご相談をしてこられたということも理解はしているのですが、このようにお尋ねになるのには正しい方を選びたいということを求められているからなのかなと思うのです。

しかし、そのときに正しいと思っても、あとになってあっちの方が正しかったと思うこともあります。正しいか間違っているのかということは先にならないないとわからないことの方が多いのです。

では、それでは選択するのが怖くなってきたりしますが、ここでもう一つ別の選択の基準があります。それは、楽しい方、楽しそうと感じる方を選んでみるということです。

毎日が選択の連続である

わたしちは毎日毎日、いろんな選択をしながら生活しています。

きょうは、何時に起きる。
どの通勤電車のどの車両に乗る。
お昼ごはんは、どのお店に行って、何を食べる。
仕事で、この案件に対していくらで見積を出す。
上司に対して報告しにくい問題が発生したけど、どう対処をするか。
喧嘩した彼からlineが来たけど、すぐに返信する、それとも時間をおいてから返信する、スルーする。

まあ、このようにいろんな選択をしています。その大半の選択は、毎日行っていることなので半自動でされているかもしれませんが、それでもきのうと同じにする、という選択をしていることになります。

正解、不正解は刻々と変化する

ところが、人生の一大事と思える選択もあります。

どこの学校に進むのか。
どんな仕事に就くのか。
どのパートナーを選ぶのか。
仕事を辞める、辞めない。
離婚する、離婚しない。

他にもいろいろあるでしょう。自分の人生を左右すると思える選択ほどなかなかすぐには決められない。当然のことだと思います。いろんな人の意見を聞く、というのも良いと思います。

だからと言って「どれが正解なんだろう?」ということにこだわると選択することが怖くなってくると思います。そもそも「正解」というものがあるのだろうかとも思います。

例えば、就職。
とある業界の大手企業と、中堅企業に応募してどちらも採用になった。最初は面接官の人柄と会社の風土が気に入り、将来性も感じて中堅企業に入ろうと思っていたけど、いろいろと相談するうちに、大手企業は給料面や福利厚生などあらゆる面で抜きんでているからそっちの方がいいよと言われて大手企業に決めた。ところが、10年たち、20年たち、入った大手企業は業績がだんだんと落ちてきてリストラを断行することになり自分がその要員になってしまった。

このような例は稀かもしれないけど、ないことではないと思います。その時、正解と思ったけれど、何年か経ち、この判断は間違っていたのではないか思うことがあるのです。あるいは、また何年か経ち、やっぱり正解だったと思うこともある。人生はそのとき限りではないということですね。そして、正解、不正解もころころ変わることがあると思うのです。だから、正解を出そうと思うこと自体に意味がないのではないかと思うのです。

「楽しそう」と感じる方を優先してみる

わたしが相談を受けたときに、どれを選んだ方が良いと言うことはわたしには判断はできないけれども、こういうことを優先して選んだらどうですかということをお伝えしています。

それは、自分のなかで湧き上がってくる感情。思いです。

こっちが好き。
なぜかこっちが気になる。
やってみたい。
楽しそう。
ワクワクする。

正しい道より楽しい道を選んでみて欲しいな、と思うのです。

正しい道を選ぶと言うのは、間違っていたらどうしようという不安が元になって判断しています。楽しい道というのはそうではないですね。楽しい道を選ぶとき不安というのは微塵もなくて、ただ心躍る自分がいると思います。

人の心は、意識したものを引き寄せたがるようです。不安なことにならないようにと選んだ正解と思っているものは、実は不安と隣り合わせと言えるかもしれません。だから、自分の心が本当に喜ぶ方に目を向けた方が良いのではないかと思っています。

何を元に選ぶのか?ということが重要ではないか思っています。恐れ、不安を元に選ぶのか、それとも、喜び、楽しみを元に選ぶのか。こんなひどい目にあわないようにするにはどっちを選んだらいいのか、と思うのと、これをしている自分はどんな楽しそうなことが待っているのだろうか、と思うのでは、結果が違ってくるように思います。

正解と思ったものと楽しいと思ったりものが同じなら良いのですが、正解と思ったものが我慢を強いるものであったとき、辛さを感じることになります。辛さを感じた分だけ、それが不正解だとわかった時に後悔が出てくるのではないでしょうか。

楽しい道を選んだときはどうでしょうか?楽しそうな方を選んだのだから、我慢を強いるということはなかったと思うのです。

失敗したくない思うと失敗しやすいが、楽しそう思うと楽しいことに向かう

よく言われることですが、ゴルフで、池にいれないようにと思ってボールを打つと、見事に池に入ってしまう。池に入れたくないという思いが、思い切り池をイメージしてしまうからです。

どちらを向いて決めるかという方向性が非常に大事なのです。そのために、正しい間違いではなくて、楽しいそうな方はどっちだろうか?と考えて判断してもいいのではないかと思います。

何を判断基準にするかは自由です。正しい道より楽しい道を選ぶ。こういう判断基準もあるということを知っていただいて、なるほどと思っていただいたら採用してもらえればと思います。正解はないのですから。

きょうも、お読みいただきありがとうございます。
みなさまのしあわせをお祈りしています。